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スティーブン・ピンカー:データで見ると、世界は良くなっているのか、悪くなっているのか?
目次
昔は良かった?
メディアは毎年のように「今年は最悪の年だ」というようなことを語ります。
事件、汚職、戦争の記事を毎日のように目にします。
フランクリン・ピアース・アダムス(アメリカの第14代大統領)はこのような言葉を残しています。
昔というものはそんなにも良かったものでしょうか?
最新のデータでみる昔と今
それではデータで比べる今と30年前です。数字で見ると世界はどうなっているのでしょうか?
まずはアメリカの今と昔。
- 殺人件数は 10万人あたり5.3人
- 貧困層の割合は7%
- 微小粒子状物質(PM)の放出量は 2100万トン
- 二酸化硫黄の放出量は 400万トン
- 殺人件数は10万人あたり8.5人
- 貧困層の割合は12%
- PMの放出量は3500万トン
- 二酸化硫黄の放出量は 2000万トン
そして世界の今と昔。
- 12か所で戦争
- 独裁国家の数は60
- 極貧層は全人口の10%
- 核弾頭の数は1万発以上
- テロの犠牲者238人
- 23か所で戦争
- 独裁国家の数は85
- 極貧層は全人口の37%
- 核弾頭の数は6万発以上
- テロの犠牲者440人
これだけの数字で見る限りは、社会は良くなっていると見ることができます。
寿命、健康、暮らし、反映、平和、自由、安全、知識、余暇、幸福感の変化
それではさらに数字で、世の中はどうなっているのか。進歩主義者ほど嫌う進歩というものが実際にどうなっているのか。実際に数字で見てみましょう。
寿命
1771年 30歳⇒2015年 70歳(先進国では80歳を超えているところもある。)
乳児死亡率
1751年 5歳までの生存率30%⇒2015年 5歳までの生存率は最貧国でも6%未満
飢饉による死亡率
1860年 1870年代に1.4%⇒2016年今は戦争による荒廃地か辺境地の一部のみで数字では限りなく小さい
貧困地域
1820年 90%⇒2015年 10%未満
大国同士の戦争
1500年 戦争ばかりが起きており、100%近く行っていた年もある⇒2015年 1900年代の大戦を経て、朝鮮戦争を最後に起きていない
戦争による死者
1946年10万にあたり22人(0.022%)⇒2016年10万人あたり1.2人(0.0012% )
民主主義
現在、ベネズエラ、ロシア、トルコでは後退を見せているが、世界の三分の二の人口が民主主義国に暮らしている。
殺人による死者
1300年⇒2015年 西欧、アメリカ、メキシコでは過去に比べるとかなり少なくなっている。
自動車による死亡事故
1920年⇒2015年 96%減少
歩道を歩いている時の死亡事故(アメリカ)
1927年⇒2015年 88%減少
飛行機の墜落による死亡事故
1970年⇒2015年 99%減少
仕事中の死亡事故(アメリカ)
1913年⇒2015年 95%減少
天災による死亡事故
1900年⇒2015年 89%減少
雷による死亡事故
1900年⇒2015年 97%減少
識字率
1475年 欧米ではほぼ20%以下⇒2010年 ほぼ100%他国でもこれに追いつく数字であり、25歳の90%が読み書きできる
労働時間(欧米)
1870年 週60時間労働⇒2000年 週40時間未満
家事労働時間
1900年 週60時間⇒2015年 家電の普及で週15時間未満
幸福度
86%の国で高まっている
このように数字が上昇していれば、進歩をしていると言えるならば、数字はすべて上昇して(良くなって)います。
メディアの報道
このように数字で世界をみると、世界はより良い方向へ進歩をしている。
しかしそれをメディアはどう捉えているのか?メディアでは連日、悪い報道が続きます。
1945年から2010年にかけて、ニューヨークタイムスはネガティブな傾向を強めいています。
そしてそれは世界のメディアでも同じ傾向になっている。
このようにメディアは悪い報道ばかりをするものとなっているのです。
悪いことばかりを報道するメディア
メディアは「40年間平和な国からお届けします」とか「昨日は何万人の人が貧困状態から抜け出しました」という報道をすることもできるが、なぜそんな報道はしないのでしょう。
そこにはまず認知心理学の「利用可能性ヒューリスティック」というもので、手っ取り早くリスクを評価して思い出しやすいものに基づいて判断する傾向が強いことから、1日では成し遂げられない良いことよりも、突然起こる悪いことがインパクトのあるニュースになるからです。
(「利用可能性ヒューリスティック」についてはこちらの記事に詳しいです⇒https://note.mu/kodaikusano/n/n73a39a92abfb)
またメディアは「流血優先」と言う記事選別基準に現れており、血が流れている記事が優先的に報道されていることからも、世界がまるで終焉を迎えている、という報道になるのです。
(「流血優先」の記事選別といえば映画「ナイトクローラー」でも扱われていました⇓)
悲観主義に利点があるのか?
それでは社会が悲観主義であることに良いことがあるのではないのかという考え方もある。
悲観的に見ていると、現状に満足することへの予防線になるからでしょうか。重要人物の汚職を明かし、不都合な真実を権力者に訴えられるからでしょうか。
しかし正確であることが良いことであり、災難や危険が起きている時はいつでもそれを正しく認識するべきで、このような問題の軽減策について知るべきであるから、悲観主義には危険を伴います。
その危険の一つが運命論。
世界は悪くなる一方であり、運命だと考えると、誰もが良いことをしようという努力をやめて、今をただ楽しく過ごそうとするだけににあります。
そしてもう一つの危険が過激主義。
社会の制度が破綻し、改善されないなら、機械を破壊し、悪者を一掃し、体制を打ち倒そうとなるでしょう。全てをなくした後に出てくるものは全部良いものだと思って。
進歩は存在するのか?
それでは進歩は存在するのでしょうか?
進歩は神秘的な魔法でも、弁証法的に向上させるものでもなく、思想によって導かれた、人間の努力の結果なのです。
進歩は問題解決によって起こります。
いつでも問題は起こり、それを解決し、それを繰り返していくことが進歩へとつながるのです。
現在の未解決問題が気候変動や核戦争などあまりにも規模が大きく、リスクの大きいものであることから、悪いことが続いているように感じてしまいます。
それでもこの大きな問題を解決しようと考えていかなければいけません。
啓蒙主義とより良い未来
そしてスティーブンは啓蒙主義(旧い慣習を改めて、新しい秩序を立てようとする思想。18世紀フランスを中心として広がった思想)は人々を鼓舞させるものがあり、常に崩壊の危険にさらされ幻想や利己主義という愚かさを持つ人間だが、人間の本性は道を開くアイデアを持ち、自分の考えを語る言語を持ち、自らの創意と経験を共有できる共感と哀れみと想像力と思いやりと同情の力を持っている、とする。
この人間の資質は、書き、印刷され、電子的にもなった言葉によって、言語の及ぶ範囲は拡張され、共感は歴史とジャーナリズムと物語の技術により拡大されている。
そして人間の貧弱な理性的能力も高められ、理性的な規範や制度によって知的好奇心や開かれた議論、権威やドグマに対する懐疑、現実と突き合わせるアイデアの立証により、改善の循環が勢いを増し、人間の本性の暗い部分に光を当てている。
これにより人間はより長生きをし、苦難を減らし、より学び、賢くなり、より多くの喜びや豊かな体験を楽しんでいる。
誰かに殺され、襲われ、奴隷にされ、利用され、虐げられる人は減っている。
わずかなオアシスから平和と繁栄の地は広がり、いつか地球を包み込むだろう。
多くの苦難や危機はまだあるが、それを減ずるまだ考え出されていないアイデアが無限に存在する。
これは特定の集団のものではなく、人類全体のものであり、論理的の能力と生きようとする衝動を持つ知覚のあるどんな生き物にも当てはまる。
それには、生は死よりも良く、
健康は病気よりも良く、
豊かさ貧しさよりも良く、
自由は抑圧よりも良く、
幸福は困難よりも良く、
知識は無知や迷信よりも良いという信念だけである、と締めくくる。
まとめ
人間の未来と啓蒙主義、と言ったら良いでしょうか。
少し難しく感じるスティーヴンの話ですが、初めのデータで見る世界の動向は実に分かりやすく、世の中は日々良くなっているのだということが分かります。
メディアが煽る終末論的なニュースで世の中はどんどん悪くなっている、人類は後退していると思ってしまうこともありますが、人類は確かに前進しているということを知ると安心できますね。
確かに問題を煽るメディアですが、その問題解決を徐々にこなしている、それこそが進歩であるとすると、時間はかかるが、人は諦めずに問題を解決し、多くの人が前へ進もうとしています。
人間の本能や本性に光をあてる彼の作品は分厚くて、読み応えがあります⇓
この記事を読んで、彼に興味が沸いた人には是非オススメです!
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