おすすめTEDのご紹介です。
キャメロン・ラッセル: ルックスだけが全てじゃない。モデルの私が言うんだから信じて
モデルをしているキャメロン・ラッセルは白人でスタイルがいいということでステージに立っていると皮肉をこめていいます。
イメージは強烈であり、はたまた表面的なものであるとして、外見で塗り固められたモデルというものがどんな世界であるのか、赤裸々に語ってくれます。
そしてここには彼女の皮肉がたっぷりこめられています。
偏見も差別もあるモデルの世界のリアルがわかるお話です。
どうやってモデルになったのか?
「スカウトされたから」が答えですが、それではモデルである容姿を持つ答えにはなっていません。
それは都合よく受け継がれた偉大な遺産を受け継いだからだ、と言います。
この数世紀、人々の定義する美しさは、健康、若さ、均整という生物学的なものだけでなく、
長身で、スリム、女性らしくて、肌が白いことなども含むようになり、それでキャメロンはモデルとして稼いでいるということです。
白い肌であること
もちろんナオミ・キャンベルやタイラ・バンクス、ジョン・スモールズ、リウ・ウェンなど白人以外にもモデルはいます。
白人であることはモデルとして関係ないのではないのか?
しかし2007年ニューヨーク大学のある大学院生の調査では、ランウェイを歩くモデルを一人残らず数えると、677人のモデルのうち白人以外の人種はわずか4%未満の27人だけだったのです。
大人になったらモデルになれるか?
そう言ってくる少女には大統領やベンチャー企業家を進めて、それでもなりたいと言うなら、キャメロンは自分のボスになればいい、と言います。
またはヴォーグの編集長や有名な写真家などであればなれるかもしれない。
モデルになるのは宝くじを当てることと同じ。
自分ではどうにもならないことで、キャリアとして成長はできないのです。
歩いている風のポーズはできるけれど、履歴書にかけるのはモデル歴だけ。
写真の画像調整はしているのか?
ほぼ全ての写真が修整されている。
モデルの撮られた写真は作品であり、ヘアスタイリスト、メイクアップアーティスト、カメラマン、スタイリストなどの専門家を初め、そのアシスタントやプリプロダクション(撮影前の作業)、ポストプロダクション(撮影後の作業)等、みなで作りあげる作品で、
モデル個人の「私」ではない。
ただで色々もらえるのか?
普段、絶対に履かない20cmのヒールなら余るほどある。
他は、ショッピングにお金を忘れたときに、欲しかったドレスがもらえたり、
信号無視の切符を警察が見逃してくれたり。
それは外見のおかげだということ。
世の中の外見による差別
しかし外見による差別は世の中にあります。
ニューヨークで14万人のティーンが所持品検査を受けさせられ、そのうち86%が黒人かラテン系であり、そのほとんどが若い男性だった。
それも見た目の偏見による所持品の検査である。
またアメリカに住む13歳の少女のうち53%が自分の体を嫌い、17歳になるころにはその値は78%にも上がるという調査もある。
モデルの仕事は実際どうなのか?
そして最後の質問。
モデルってどうなの?
「すらっとしてきれいな髪をしていたら、とても幸せですばらしいものになれるわ」という答えを期待されるけれどそうではない。
「世界中を駆け巡り、才能豊かで情熱を持つクリエイティブな人たちと仕事ができるのは素晴らしいです」とは言うことができるが、それも真実の半分である。
モデルたちは不安がある、それは毎日いつでも外見を気にしないといけないから。
モデルたちはおそらく世界一、身体的不安を抱えている存在だと言えるのだ。
まとめ
ここでのキャメロンの話ではやはりモデルはいい仕事だ、と捉えてしまうこともあります。
しかしここでは皮肉がたっぷりあること。
実質、身体的にもモデルにもなり、宝くじを当てた彼女は、モデルになって得することは大したこと無く、自分自身ではなくなる撮影であり、
何のキャリアーにもならないということを言っています。
外見だけではだめ、ということをモデルという外見の至上にある人が言うと考えさせられるものがあります。
コメントを残す