化粧品を塗りたくっている間は女性は女性な気がする
#metooとか#kutooとか、女性の権利を守る運動が増えているけど、それはそれでいいと思う。
女性の権利、というか、女性が人としての権利をしっかり持ち、差別のない社会は目指すべきだ !
国会の大臣も男ばかりで、女性は少ない日本。
総理大臣に女性がなったこともない日本。
父権主義が跋扈して、男尊女卑が当たり前の日本。
もう色々と前時代すぎるところは多い。
男性だけでは成り立たない部分も多くなっている中、女性の権利の拡充は必須だ。
「今日もスッピンで来ましたー」
会社の女性の同僚が大きなマスクをして、笑いながらそう言う。
「えーまじで」
少し先輩の女性がそれに言葉を返す。
「時間がなくて」
「化粧なんて、すぐにできるじゃん」
そんな和やかな言葉が飛び交う中、私は女性の権利について思ったのだ。
化粧をするか、化粧をしないか
化粧には未だに違和感がある。
ていうか、化粧というものがあるかぎり差別の温床ではないだろうか。
女性は化粧をして、当たり前。
化粧をしていないとスッピンで、顔を隠さないといけない。
化粧の文化は分からないけれど、これも一企業の歴史的な戦略なんだろうな。
デパートの1階なんて見てたら、差別だらけじゃないか。
以前、トイレを探しながら、男一人で歩いたんだけど。
歩きにくいじゃないか!
なんとなく化粧品を見ていたら、「お連れの方をお待ちですか?」なんて言われたこともあるよ。
待ってないよ!
化粧品売り場に男性の居場所はない=女性だけの場所
差別やん。。。
男女の違いはトイレだけでいい。今ではトイレも男女だけではなく、変わってきているけどね!
https://www.nhk.or.jp/d-navi/2020/article_2.html
(⇑こんな検定あるんや。。。誰得なん?こんな資格こそ、ただの自己満ですね)
男性が化粧をすればいい
いやいや、男性が化粧をすればそれが解決かって、そんな問題じゃない!
女性=化粧と言っても過言ではない濃厚な歴史的背景があることが、差別になっている、と言うことだ。
今から男性も化粧をするという歴史を作っていったところで、差別はなくならないと思う。
きっとこう言う人もいる。
「男性が女性のようになった」と。
化粧は文化のようなものだろうけれど、女性的であるための一企業の戦略を甘んじてうけている間は、
差別は無くならないのではないだろうか。
キレイでなくて良い
いやいやいや、キレイでなくて良いわけではない。
化粧=キレイ、と言うことがそもそもの差別の温床だ。
むしろ男性はもっとキレイになるべきだ。
男性が無精髭で、無造作ヘアーで、大雑把だと、男らしい、と言うようなことはもう差別の始まりだろう。
女性が髭はなくても、無造作ヘアーで、大雑把だと、男みたい、って言われると思う。
この固定観念的男らしさも良しとする訳ではない。
その反対であることが女性、という観念もある。それが化粧ではないのか?
見た目の美しさがそもそも差別の温床
結局はこう言うことだと思う。
男女分け隔てなく、見た目がどうのこうのと言うのは差別だ。
その差別の行き過ぎた物が化粧文化で、化粧を上手くすること=女性的であること、そしてそれを良しとすること、そうやってこの差別の溢れる社会でどうやって生き抜くかの指針を作られてしまっている気がする。
化粧をしなければいけない、と化粧を塗りたくっている間は女性は女性のままだと思う。
そしてデフォルトの女性性は女性性のまま。
それは決して、ナチュラルメイクを目指すことが解決と言っている訳ではないですよwww
女性はお金がかかるのだ
こんなことをある女性に言われた。
「女性はお金がかかるのだ」
彼女は専業主婦だ。
毎月、化粧品に10万円近くを費やしているという。
彼女の旦那は稼ぎがいい。10万円くらい問題ではない。
なるほど、と思ったよ。
働く男性と、家庭を守る女性。
でも家にいるだけでは消費が促されない。
女性にお金を使わせる方法。
化粧品なんてどうだろうか。
美しいを目指すのが、成熟文化の習慣だから、化粧品で美しくなろうと皆が始めれば、女性が化粧品を買い続け、消費も進むんじゃないか、と。
これが昭和的消費の構造だと思う。
そこから「働く男性と専業主婦」という構造だけを取ってしまった成れの果てに、化粧だけが残っているんじゃないのか。
それがいまだに今に至っていることは、あながち間違いではないと思いますが、いかがでしょうか?
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