一人カラオケ
最近、一人カラオケが流行っているという。
文字通り一人でカラオケに行く行為だ。
たくさんの人と行き、みんなで盛り上がるカラオケに一人で行くという奇妙さ。
流行りの歌や懐かしの名曲を歌いあい、ひたすら次の曲探しに没頭する。
飲み物が切れたら、歌でうるさい中、内線を受け付けにかける。(今はアプリで注文できるのだろう。知らんけど)
小腹が空いたら、食事にデザートなんでもござれ。
ワイワイと盛り上がるそんなカラオケに一人で来るというその大胆というか、孤独が、流行だという。
でも、カラオケってそもそも孤独な行為じゃない?
自分の選曲が回ってくる。隣の人にマイクを渡される。
歌い始めを逃さないようにイントロに集中する。歌い始めて、画面の歌詞を追いかける。
僕も何度かカラオケは行ったことがある。
その時の話だ。
僕ももちろん歌った。しかし僕は歌いながら周りを見てしまった。
次の選曲を探す人、飲み物のメニューを探す人、携帯電話を見ている人、そして僕と同じく画面を見る女の子もいた。
彼女は僕がキョロキョロしていると、目が合い、僕に微笑んだ。
その時の彼女はただの友達だったけれど、優しい人だった。
誰も聞いていない
カラオケなんて、他の人の歌は誰も聞いていないし、いや反対に言えばみんな聞いている。耳だけはみんな開けていた。イヤホンをしているやつは流石にいなかった。
でも聞かれているとは思えなかった。あの子を除いては。
そう、カラオケは歌いにいくところで、聞きにいくところではない。
みんな自分の歌に夢中で、人が歌う間は休憩に過ぎない。
いつからカラオケが娯楽になったのだろう。
ただの孤独な行為なのに。
それはSNSに似ているかもしれない。
要は、孤独は嫌だけど、みんなとはいたくない。
匿名でかつ、誰かに見られたい。
カラオケは匿名ではないかもしれないが、カラオケの歌う順番は誰でもいいのだから匿名性がある。
カラオケはSNSの先駆けなのかもしれない。
本当は一人なのに、一人じゃない気がする行為として。
マッチング
でもSNSではマッチングアプリなるものがある。
それは昔で言う出会い系。
アプリを通じて男女が出会う。それは完全匿名のものから、身分証が必要なものまで。ネットを介したお見合いのレベルにまでなっている。
昔の出会い系なんて、怪しいだけで、多くは犯罪のきっかけにもなっていたが、今はたくさんの人がマッチングアプリをきっかけに出会い、結婚まで果たしている。
SNSがただの孤独な所作だとは言い切れない。カラオケだって、そうは言い切れない。
あの日優しく微笑んだ彼女は、その後、僕の彼女になった。
「カラオケなんて何が楽しいのかわからない」
僕はあのカラオケの後、彼女にそう話した。
言ったすぐ後、僕は友達の誘いを否定したように思い、それはそこにいた彼女自身さえ、否定したようにも取られないかと後悔した。
「私も。意味がわからない」
彼女がそう言って、僕は後悔をやめた。
それ以来、僕と彼女は同じ友達仲間と遊ぶことは少なくなった。ましてやカラオケには絶対に行かなくなった。
そう考えると、カラオケはただの孤独な行為ではないかもしれない。
(数年経った今、彼女がどこで何をしているのかは知らないが)
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