ジーン・ヤン: 漫画は教室にふさわしい
漫画に魅了された少年時代
ジーンが小学5年生のときに買った 『DCコミックス』の57巻、それが彼の人生を変えました。それは文字と絵の組み合わせでできた漫画です。
彼は漫画を読み続け、自分で描くようにもなり、漫画家としてデビューし、生計を立てるようになりました。
一方で高校の教師で、カリフォルニア州にある高校に勤め、主にコンピューターサイエンスを17年間教えました。
まだ新任のころ、どの授業でも初日には必ず自分が漫画家でもある、と生徒に伝えるようにしていましたが、それは間違いで、90年代当時は漫画の地位は今日のように高くはなく、ダサい先生だと思われたようです。
そんな状況の中、ジーンは教育と漫画は分けておくべきだ、と、小学生の頃の直感が正しかったように思われました。
漫画の有用性
しかし教育とマンガを分けるという考え、これも間違いで、教師になって数年後、ジーンは教育における漫画の可能性に初めて気づきました。
ある学期のこと、彼は代数の授業の長期間の代理を頼まれましたが、別の担当もあり、2~3週間に一度の割合で 1~2コマは代数の授業ができなくなるという問題がありました。
生徒にとっては長期間の代理だけでも良くない上に、代理の代理が来るなんて最悪でしょう。
それでも授業にどうにかしようと、自分の講義を動画に撮ることに。動画はできるだけ興味を持たせる内容を目指し、少し特別な効果なんかを入れ、かなりイケてると思いましたが、大失敗。
ある生徒がやってきて言いました。
「先生は生の授業もつまらないとは思ってたけどあのビデオだけは勘弁してください」
そこで再挑戦に授業をマンガにしてみたのです。
4~6ページの長さの漫画版の講義をコピーして生徒に配ったところ、驚いたことにこの漫画での講義は成功し、直接教えられる授業も漫画を描いてほしいと生徒が言ってくるまでに。
画面表示に慣れ親しんだ世代の生徒たちなので、紙よりも画面で学習するほうを好むはずだと思っていたけれど、生徒になぜそんなに漫画での授業が良いのかを尋ねてみたところ、教育において漫画が秘める力が見えてきました。
漫画が良い2つの側面
1.漫画での講義は視覚に訴える。
若い生徒は視覚的な文化の世代なので 情報を視覚的に受け取ることに慣れており、ただ視覚的伝達手段としての漫画は映画やテレビやアニメや動画とは違い、永続性があると考えられる。
2.漫画では過去、現在、未来が同じページに並べて描かれる、つまり情報が伝わる速度は読者の側に委ねられている。
漫画教材の中でわからない部分があったら、そこをもう一度読めばよく、それは情報に関するリモコンを生徒に渡しているようなもので、ビデオ授業や対面の授業でもそうはいきません。
しかし生徒に情報を伝えるときには視覚の特性と永続性という2つの面を備えた漫画は強力な教材となるのです。
この代数の授業を教えているとき同時にカリフォルニア州立大学で教育学の修士コースに在学し、修士の卒業研究に漫画を取り上げることにしました。
なぜアメリカの教育者が漫画を教室で使おうとしなかったのか?
その経緯を明らかにしようとして、分かった事があります。
漫画教育の歴史
漫画は1940年代に初めてマスメディアになって毎月何百万部も売れるようになり、当時の教育者から注目されます。多くの革新的な教育者は実験的に漫画を教室に取り入れ始めました。
1944年には教育社会学の専門誌が、この試みについて一冊丸ごとの特集さえしており、追い風が吹いているかのようでした。
しかしその時登場したのが小児精神科医のフレドリック・ワーサム博士です。
1954年『Seduction of the Innocent(無実の誘惑)』を執筆し、漫画が少年非行を誘発すると訴えたのです。
それは間違いだったわけですが、博士はとても立派な人物で、キャリアのほとんどを少年非行の問題に捧げ、その中で非行少年の多くが漫画を読んでいることに気づいたのです。
しかし博士が見逃していたのは 1940~50年代にかけて、アメリカ中の子どもがほぼ全員漫画を読んでいたことです。
博士が自説を立証した手法はかなり問題のあるものでしたが、この本はアメリカ上院に衝撃を与え漫画が少年非行を引き起こすかどうか?
明確な結論には至らなかったものの、国民の漫画に対する評価を大きく損ねました。
その後、アメリカの著名な教育者たちは漫画を敬遠し何十年も離れていましたが1970年代にようやく何人かの勇気ある教育者が漫画を再び取り入れようとします。
そして本当に最近になって、漫画はアメリカの教育者にやっと幅広く受け入れられるようになったのです。
見直される漫画教育
漫画はついにアメリカの教室にも復帰しました。
ジーンの勤めていた高校も例外ではなく、同僚のある先生は、スコット・マクラウド『マンガ学』を文学と映像の授業で取り上げています。言葉と画像との関係を論じるための表現を生徒が学べる本です。
また別の先生は毎年生徒に漫画エッセイを描かせ、絵を使った文章の構成を考えることで、話の流れだけでなく、話をどう伝えるかをじっくりと考えさせたり、ジーンの漫画 『アメリカ生まれの中国人』を英語の教材にしています。
さらに別の先生にとって漫画は「共通学力基準」を達成する素晴らしい手段だと考えています。この基準には視覚的要素が文章の意味やトーンや美しさにどう作用するかを分析できることと記載されています。
そして図書館の一角にかなり立派な漫画小説コレクションを設置し、図書館の司書の先生たちと漫画推進運動の最前線に立ち続ける先生もいます。
それは80年代初頭の学校図書館の専門誌の記事以来で、その記事は図書館に漫画小説を置くだけで利用件数は約80%増加し、漫画以外の貸出も30%増加したという事例を報告したものでした。
これからの漫画教育は?
アメリカの教育者たちが改めて関心を抱くようになったので漫画家たちも幼稚園から高校生までをターゲットに教育的な内容を明確にした内容を描くようになりました。
漫画の多くは国語を対象にしたものですが、数学や科学の分野に取り組む漫画もどんどん増えています。
科学・技術・工学・数学分野の教育漫画は、これからが楽しみです。
つまりアメリカはようやく漫画が少年非行を引き起こすのではないという事実に気づいたのです。
漫画はすべての教育者が使える手段の一つ、教育で使わない理由などありません。
視覚で教え生徒の手にリモコンを委ねる、そんな教育における可能性は創造的な人に活用されるのを待っています。