【TED】「カウスタヴ・デイ:私たちが何者で、何のために戦うかを表現するために、ファッションがどう役立つか」まとめ

カウスタヴ・デイ: 私たちが何者で、何のために戦うかを表現するために、ファッションがどう役立つか

制服と黒いコーデュロイパンツ

カウスタヴが10歳のある日、父の古い黒のコーデュロイのベルボトムパンツを見つけました。それはカビ臭くて、虫食いもあるひどいもの。

彼は学校でいじめにあっていて、制服を着て、他の子と変わらないように、目立たないようにして、生き残ろうと必死でした。

そんな中で出会った黒いパンツ。それを履かずにはいられない衝撃で、それを履くと歩き方もおかしく学校へ行くと帰らされたが、そんな変わったものを履く(着る)ことで他の人とは違う、他人に見られ、表現するファッションというものに目覚めたようです。

ファッションは違いを表現し、自分自身を表現する。真実に向き合い、皆それぞれが違うということを伝えてくれるもの、ということに。

制限されるファッション

最年少でノーベル平和賞を受賞した人権運動家のマララ・ユスフザイは2012年に銃撃を受け、頭部と首に負傷しました。彼女がジーンズを履いていた写真をに対して、インターネットで「それがずっと前に頭を狙われた理由だ」とコメントされることに。

ジーンズというなんでもないものが場所によっては不都合を起こすものだとは、都会に住む人には考えられないでしょう。

またカウスタヴの祖母は祖父を亡くして以来、白い服しか着ていません。それはヒンズー教の教えで、夫を亡くした未亡人はその日か白い服以外着ることが許されず、カラフルな色を好んでいた祖母も伝統に従い、白を着続けました。

昔から続く、慣例や伝統による抑圧は知らず知らずに内在化され、選択さえしなくなります。

ファッションへの抵抗

カウスタヴの祖母が住む何千にもの未亡人が住むインドのヴリンダーヴァンという都市には何世紀もの間多くの白で溢れていた。

しかし、2013年インドの一大イベント、ホーリー祭という色粉をかけあう祭典は未亡人の参加が禁止されていたが、3月の祭典の日、白いサリーをその伝統的な色粉で染めあいました。全身をゆっくりと色で覆うまでそれを止めませんでした。

その彼女たちの美しい中断、伝統に対する抵抗です。そのようにファッションは体にまとう視覚的中断になり得るのです。

ファッションデザイナーの教訓

そのように抵抗を示すファッション。それはファッションデザイナーたちによる抵抗の教訓が示してくれることもあります。

ジャン=ポール・ゴルチエの教訓
女性は王になれる。
トム・ブラウンの教訓

男性もヒールを履ける。

※2018年メンズ春夏コレクションについてはこちら⇒https://www.fashionsnap.com/article/2017-06-27/thom-browne-18SS/

ヒールのみならず、男性のスカート着用も。

アレキサンダー・マックイーンの教訓

1999年のショーでランウェイの中央でモデルのシャローム・ハーロウの白いドレスに、横から出た二本のロボットアームで、黒と黄色のペイントを即興で色をつけた。

私たちの体が1つのキャンバスで、好きなように絵を描ける。

http://harpersbazaar.jp/fashion/london-fashion-week-iconic-moments-170915-hns#p0

ファッションにまつわる事件

カラール・ヌシの事件

カラール・ヌシはイラク出身の学生で俳優であった。鮮やかで折衷的な服を愛したが、その外見が原因で殺害の脅しを受けるようになり、2017年7月バグダッドの繁華街で遺体となって見つかった。

アリーシャの事件

アリーシャはパキスタン人のトランスジェンダー活動家であった。2016年5月、ペシャワールで複数回、銃で撃たれた。しかし男性だが女性の服を着ていたため、病院の男性病棟と女性病棟のどちらへの収容も拒否され、その日に亡くなった。アリーシャは男性として埋葬された。

ファッションという多様性

このように着るものや身体性の問題で暴力を受けるこの世界はどうなっているのでしょう?

一人一人がそれに屈して、周りに同化し、見えない存在になり、そんな協調性が蔓延すると、こんな抑圧がひどいものだとは思わなくなります。それが子どもたちにも受け継がれ、そんな現状を当たり前だと思い、異なるものは消すべきだと思うようになったら?

 

そうならないために、私もあなたもそして多くの人が自分らしさをみせる権利を喜んで受け入れ、乱暴に白塗りでごまかされた世界に刺しこまれる「色の針」となることができます。ヴァリンダーヴァンの未亡人たちのように。

そうすればマララやカラールやアリーシャが受けたような暴力が起こるでしょうか?違いのある私たち全員が殺されるでしょうか?

同一性が安全性を意味する世界で、衣服というシンプルなもので自分に目を向けさせ、多様性があることを主張すること。ファッションは異議を唱え、勇気を与えてくれる。それは勇気を着させてくれるものなので鎧のように身につけてください。

まとめ

日本でも「出る杭は打たれる」という言葉が昔からあります。

同一性が美化された社会で、少しでも違いがあり目立つと、たちまち悪質なイジメの対象になることもあります。

誰もが違うのに、違いを認められないという社会です。

誰もが違うということ、それをファッションで表現するという誰にでもできるシンプルな行動ですね。そうやって多様性が認められていけば、社会はもっと良くなりそうです。

 

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