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なぜファシズムは魅力的なのかーそして個人データがこれに力を貸す仕組みとは
ファシストの方はいますか?
あなたはファシストですか?
この質問に答える前に、そもそもファシズムとは何か?を忘れている人が多いと思います。
最近は「ファシスト」という言葉を色々と使い過ぎており、またファシズムをナショナリズムと混同しています。
ファシズムとは本当は何か?そしてナショナリズムとの違いについても明らかにします。
ナショナリズムとは?
「穏やかな」ナショナリズムは人間の生み出したものの中でも最も善意に満ちた部類に入ります。
国家とは何百万人も集まった共同体で、ナショナリズムのおかげで知らないお互いを気にかけて効果的に協力し合うことができます。
中にはジョン・レノンのように ナショナリズムの無い世の中は平和なパラダイスになると想像する人もいますが、ナショナリズムが無いと、カオス状態になる可能性がずっと高くなるでしょう。
現在、世界で最も繁栄していて平和な国(スウェーデンやスイス、日本など)は、ナショナリズムの感覚を強く持っている国です。
逆に、ナショナリズムの感覚が希薄な国(コンゴやソマリア、アフガニスタンなど)は、暴力と貧困の傾向が見られます。
ナショナリズムとファシズムの違いは?
ナショナリズムとファシズムはどう違うのか?
「ナショナリズム」は、自分の国は特別で、自分は自国に対して特別な義務を負っているという考え方。
「ファシズム」は、自分の国こそ最も優れており自分は自国に対してだけ義務があるという考え方で、それは自分の国以外の事に気にかける必要がないということです。
一般的に人それぞれ複数のアイデンティティがあり、異なる集団に忠誠心を抱いています。たとえば自分の国に忠誠心を持つ同時に、家族や近所の人、仕事、人類全体、真実や美に対しても忠実かもしれません。
いろいろなアイデンティティや忠誠心があることで、矛盾や問題が生じることもありますが、人生は単純なものではなく、複雑でそれぞれに対処していくしかありません。
ファシズムの誕生
ファシズムは人々が複雑性を無視し自分だけ楽して生きようとする時に生まれます。
それは国民としての自己認識を別として、全てのアイデンティティを否定し、個人は国に対してのみ責任があると主張します。
国が家族を犠牲にせよと命令したら家族を犠牲にし、国が何百万人もの人を殺せと命じたら何百万人の人を殺す。国が真実と美に背を向けろと命じたら、真実と美に背かなければなりません。
例えば ファシストは芸術をどのように評価するのか?映画の良し悪しをどう判断するのか?
これは非常に単純で、モノサシは1つです。
その映画が国の利益に供するものであれば良い映画で、国の利益に反するものであれば悪い映画なのです。
同様にファシストは学校で教える内容をどう決めるのか?
これもまた非常に単純。
モノサシは1つ、国の利益に供することを教えればいいのです。
真実かどうかは全く問題になりません。
魅力的なファシズム
第二次世界大戦とホロコーストの恐怖はファシズムの考え方が酷い結果を招いたことを思い出させます。
しかしファシズムの邪悪さを伝えるには、恐ろしいモンスターのように描写するだけではファシズムの何が人をそれ程までに惹きつけてしまうのかを説明していません。
ある意味ハリウッド映画の悪役(ヴォルデモートやサウロン、ダース・ベイダーなど)のように醜く卑劣で残忍なものとして描いています。
しかし悪役たちは自分を支持する人々に対しても冷酷だが、そんな悪人に誰がついていきたいと思うのか?
「悪」という概念の現実での問題点は、必ずしも醜くは見えず、反対に美しく見えることさえあります。
キリスト教の宗教画はハリウッド映画とは違い、たいていサタンを立派な男性美として描いています。
だからこそサタンの誘惑に打ち勝つのは難しいのです。
このようにファシズムの魅力に打ち勝つのが難しいのも同じです。
ファシズムの危険性
ファシズムは人々に自分は世界で最も美しく最も大切なもの(国家)に属しているのだと思わせます。
すると人々はこう思います。
「ファシズムは醜い、でも鏡にはとても美しいものが映っているから、私はファシストではないですよね?」
これがファシズムの問題なのです。
ファシストの目で鏡を見ると自分が本来の姿よりずっと美しく見えるのです。
1930年代にドイツ人がファシストの目で鏡を見て、ドイツが世界の何よりも美しく見えたはずです。
今、ロシア人がファシストの目で鏡を見たらロシアが世界の何よりも美しく見え、イスラエル人がファシストの目で鏡を見ればイスラエルが世界の何よりも美しく見えるはずです。
これは1930年代の出来事が繰り返されているという意味ではありません
ファシズムや独裁は姿を変え21世紀の新しい技術の現状にもっと即した形で復活するのです。
独裁の歴史
古代では土地は最も重要な資産で、政略とは土地を支配すること、そして独裁とは全ての土地の所有権が1人の支配者あるいは少数の寡頭制支配者に属することを意味しました。
近代になると土地よりも機械が重要になり、機械を支配しようとする政略に移りました。よって独裁とは過剰な程多くの機械が政府や一握りのエリートの手に集中することを意味しました。
そして現在。
現在はデータが最も重要な資産として土地や機械に取って代わりつつあります。
今や政治とはデータの流れをコントロールすることであり、今の独裁とは過剰な量のデータが政府や一握りのエリートに集中することを意味します。
現代の独裁
自由民主主義が直面している最大の危機は、情報革命で民主主義よりも独裁のほうが効率が良くなってしまうことです。
20世紀、民主主義と資本主義がファシズムと共産主義に勝利したが、それは民主主義の方がデータ処理と意思決定に優れていたからで、20世紀のテクノロジーは多くのデータと多大な権力を一手に集中させることに単に向いていなかった。
しかし分散データ処理よりも集中データ処理の方が常に非効率だというのは自然の理に反しています。
人工知能や機械学習の台頭により膨大な量の情報を一ヶ所で効率的に処理し、全ての決定を下すといったことも可能になるかもしれません。
そうなれば集中データ処理の方が分散データ処理よりも効率が良くなります。
20世紀の独裁体制にとって負担になっていたのは情報を一か所に集中する試みでしたが、今ではそれこそが最大の利点になるかもしれません。
未来の民主主義を脅かすもう一つの技術面の脅威は情報テクノロジーとバイオテクノロジーの融合です。
これは自分よりも自分を知るアルゴリズムが生まれる可能性があり、政府など外部システムが自分の意思決定を予見するだけでなく、感情や情動を操ることができるようになります。
独裁者は十分な医療制度を提供できないかもしれないが、人が独裁者を愛し、敵対者を憎むように仕向けることができます。
民主主義がこのような変化を切り抜けるのは難しいでしょう。
なぜなら結局のところ民主主義とは人間の合理性ではなく感情によって左右されるから。
例えば、選挙や国民投票では 「どう考えるか」ではなく「どう感じるか」を問われます。
そしてもし誰かが人の感情を効果的に操作できるとしたら民主主義は感情を操る人形劇になってしまいます。
これからのファシズムを防ぐために
ファシズムの再来と新しい独裁の台頭を防ぐにはどうすれば良いのでしょう。
私たちが直面する第一の問いは 「誰がデータを支配するのか」
あなたがエンジニアであれば一部の人の手へのデータの集中を防ぐ方法を考え、分散型のデータ処理が集中データ処理と同じくらいは効率的であるようにすること。
これが民主主義にとって最良の防御壁になります。
エンジニア以外の人々にとってはいかにしてデータを支配する者に操られないようにするかです。
自由民主主義の敵のやり方は私たちの感情をハッキングすること。
Eメールや銀行口座ではなく私たちの恐怖や憎しみ、虚栄心といった感情をハッキングし、次にこうした感情を利用して民主主義を二極化させ内側から破壊。
実はこれはシリコンバレーが商品を売るために開発した手法です。
しかし今は全く同じ手法で民主主義の敵が恐怖や憎しみや虚栄心を売るのに使っています。
こうした感情をゼロから生み出すことはできません。
私たちに内在している弱さを見つけ出しそれを攻撃に使うのです。
だからこそ私たち全員の責任において自分の弱さを認識し、それが民主主義の敵の手に渡って武器にされないようにしなければなりません。
自分自身の弱さを知ることでファシストの鏡という罠にかからずに済みます。
ファシズムは虚栄心を利用し、人を実際よりもずっと美しく見せる、それがファシズムの誘惑です。
しかし自分のことをよく理解し、誰かがあなたの前に鏡を置いたとして、それがあなたの欠点を全て覆い隠し自分を実際よりもずっと美しく、重要に見せる鏡だとしたら壊すしかありません。
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