エリザベス・ダン:人を助けることで幸せになれる- でもそのやり方が重要
お金を人のために使うと幸せになる?
エリザベスは、共同研究者と 「お金を人のために使うことは幸福度を高める」という論文を サイエンス誌で発表し、その研究結果に自信はあったが1つだけ問題だったのは、それが彼女自身には当てはまらなかったこと。
彼女自身、寄付をしたことはほとんどなく、寄付しても期待していたような温かい満足感は無し。
そこには何か問題があるのでは?と疑い始めました。
人に何かを与える喜び
幼児でさえ他人に与えることに喜びを示すことが研究で分かっており、実験では2歳の子どもに、子どもにとって本当に惜しいと思う、それは黄金に等しいお菓子のクラッカーを使いました。
幼児にこのクラッカーをいっぱいあげた後、サルのぬいぐるみにも少し分けてあげる機会を与えました。
この実験から幼児はクラッカーをもらった時にすごく喜び、ぬいぐるみにあげた時に一層の喜びを示しました。
この温かい喜びの気持ちは大人になっても続くのです。
世界の20万人以上の成人を対象にした調査結果では約3分の1の人が1ヶ月の間にいくらか寄付をし、特に世界の主要な地域のすべてにおいて寄付した人は寄付しなかった人よりも幸せで本人の経済状況を考慮してもそうでした。
この相関は小さなものではなく、寄付は収入としてその倍を手に入れるのと同じくらいの幸福感をもたらしているようなのです。
これはもしかして人間の本性の一部なのではないか?
例えば食べることやセックスは種の保存に繋がるように、与えることもそのような行動の1つに思えたのです。
グループ・オブ・ファイブ
しかしその寄付もただお金を払うだけ、というのでは何か違う。
「グループ・オブ・ファイブ」の制度をご存知ですか?
それはカナダ政府が、誰でもカナダ国民が5人いれば難民の家族を私的に支援できるようにしている制度のことです。
難民の家族のカナダでの最初の1年の生活を支えるのに十分なお金を集めれば、その家族が飛行機で自分の町にやってくるのです。
このプログラムの良いところは単独ではできないこと。
エリザベス達は結局5人ではなく、コミュニティ組織と協力して25人のグループになり、手続きから2年待って、家族が6週間以内にバンクーバーに到着するという連絡を受けました。
男の子4人と女の子1人がいるということでエリザベス達は急いで住む場所を探し、家のリフォームのため友達が夜や週末に手伝いに来てくれてペンキ塗りや掃除や家具の組み立てをしました。
家族が来るその日、家族のための冷蔵庫をミルクや果物で満たし空港へ迎えに行きました。
シリアを逃れた難民が560万人以上いると聞いても人間の脳はその悲劇を実感として理解するようには進化しておらず、まったく抽象的なのです。
でも家族をバンクーバーの新しい家に迎え入れたとたん、この人達の幸せのためなら自分は何だってすると、みなが気づきました。
この経験から人は自分が助けている人との繋がりを実感し、相手の生活にもたらされる変化を容易に思い描けるとき与えることの効果が急上昇するのです。
ユニセフorスプレッド・ザ・ネット
ある実験では参加者に少額のお金をユニセフか?それともスプレッド・ザ・ネットに寄付するか?という機会を与えました。
この2つはどちらも子どもの健康を守るという共通の重要な目的を持っています。
ただユニセフはすごく広範な基金のため、自分の小さな寄付がどうなるのか想像しにくい、それに対してスプレッド・ザ・ネットはすごく具体的で、10ドルの寄付ごとに子供をマラリアから守る蚊帳が1つ提供されるというもの。
スプレッド・ザ・ネットでは寄付額が大きくなるほどその後の満足感は大きくなっていたけれど、一方のユニセフへの寄付では、感情的な「投資収益率」 がまったくなくなっていたのです。
これが示しているのは価値ある慈善に寄付するだけでは必ずしも十分ではないということ。
自分のお金で正確にどんな違いが生まれるのか?はっきりイメージできる必要があるということです。
グループ・オブ・ファイブは、この考え方をまったく新たな次元に引き上げています。
このプロジェクトでは最初に難民がやってくる時期について話し合い、家族が到着して以来、たくさんの人や組織が援助を申し出てくれ、歯医者の受診からサマーキャンプまで無料で提供してくれたのです。
こういう助け方こそ人間が喜びを感じるよう進化したもので、カナダは40年間、市民が個人的に難民の後援者になることを許している唯一の国でした。
今やオーストラリアやイギリスも同様のプログラムを始めようとしています。
もっと多くの国でこんなことができたら難民危機がどう違っていくでしょう!
「たくさんの皿(PLENTY OF PLATES)」基金
個人間にこのような深い繋がりを作ることで圧倒されるような難問にも対処できるチャンスが出てくる。
そんな難問のひとつがバンクーバーのダウンタウン・イーストサイドにあります。そこはカナダの都市部で最も貧しい地区です。
ある男性は子どもの頃、この界隈を車で通るときは車の後部座席で身を隠していたそう。
そんな彼が成長してこの地区の人々を地元のレストランに招いてコース料理を振る舞うようになったのです。
エヴァンは「たくさんの皿」という基金の設立に関わり、その目的は単に無料の食事を提供するだけではなく、これがなければ目も合わせなかっただろう人たちに繋がりを持てる機会を用意することです。
毎晩、地元企業がディナーを提供し、調理や給仕をするボランティアを派遣します。
余った食事は路上にいる人々に配られ、さらに余ったお金で翌日以降に無料のランチが千食分地域の人々に提供されます。
このプログラムの恩恵は食事だけではなく、ボランティアの人たちは人々と関わり、腰を据えて耳を傾ける機会が得られます。
これに参加したあるボランティアは、それまで通勤路を変えてこの地区を避けていたのが 、それからはそこを通って馴染みの顔に微笑みかけたりアイコンタクトしたりするようになりました。
寄付の効果を形にすること
お金を使って他人を助けることが必ず幸福度を高めるわけではなく、どうやるか?が重要です。
もっと寄付してもらいたければ寄付の考えをすっかり変える必要があり、人間性の素晴らしさを実感できる機会を作り出す必要があります。
慈善団体で働いている人は、寄付人にペンやカレンダーなんかの物で報いようとはせず、その寄付が具体的にどんな効果を生んだのかを目にでき、助けている人やコミュニティと接することのできる機会によって報いるべきです。
私達は与えることを 「すべきこと」として考えてきました。
それはその通りですが、ただそういう捉え方は人間の一番素晴らしい部分を見落とすことになっている。
人間は他の人を助けることに喜びを感じるよう進化してきた、それはつまり与えることを単なる道徳的責任ではなく喜びの源として考えると、それは大きく違うものになりえるのです。
コメントを残す