マスクを買いに
朝起きてテレビをつける。ちょうど5時。
みんな早い早いというけれど、いつも目が覚めるのだ。
鳥のさえずりが聞こえ始める時間、冬はもう少し遅いけれど。
ニュース番組は流行りの病気のことばかり。
街中に人は減り、お店や会社は休みばかり。マスクがなくなり、ティッシュがなくなり、薬がなくなっている。
そんなニュースばかり。
家にはついこないだ買っておいたティッシュはある。
体調は悪く無いから薬はいいとして、マスクがないのは気になる。
山川さんところへ買いに行こうか。山川さんは旧知の友だちのしている薬局だ。
近所の、といっても15分はかかる。娘がいたら車ですぐなんだけど、正月しか帰ってこない娘はあてにならない。
娘は一人娘だ。アメリカと東京を行ったり来たりしているという。私に似ず、優秀に育った。
夫は5年前に亡くなった。お酒ばかり飲んでいた人。
亡くなる前までお酒を飲んでいたなあ、なんてことはことあるごとに思い出す。
私も今年で89歳。来年は90歳にもなる。もうなっているかもしれない。
一度と言わず、年齢は間違えるばかり。
90年も生きたら、1年や2年は大したことない。
それにしてもマスクがないことが妙に気になってきた。
歩いて15分。
足腰はまだまだ大丈夫。走ることはできないけれど、杖も必要ない。
重い荷物を持って歩くのは不安だけど、マスクぐらい持って帰れる、と思う。
電話をかけてみようか。最近耳が遠くなった。
家にある呼び鈴が聞こえない。
何度も娘からの荷物を受け取れなかったことがある。家にはずっといるのに。
そもそも電話もないから、その度に娘から手紙が来る。
携帯電話くらい持ってと言われるけれど、携帯電話なんて使えたら苦労しない。
そうだそもそも電話がない。近くの公衆電話のところへ行くくらいなら、薬局へ行ったほうが早い。
ゆっくりと薬局へ向かう。
薬局へ
久しぶりに山川さんと会った。
周りにできた大手ドラッグストアのおかげで、閑古鳥が鳴いている。
「あら、久しぶり」と10歳年下の山川さんはまだまだ元気にお店に立っている。
山川さんは親の代から薬局を営んでいる老舗のお薬屋さん。
東京の大学を卒業して、東京で働いてから帰ってきた才色兼備な女の人。
数年前から仲良くしていて、いつも身嗜みに気をつけていて、心も若い。
でも彼女も物忘れが酷くなり、娘さんが手伝うようになった。薬屋さんが、薬を間違えるのは大事だと。でもそれは内緒の話。私しか知らないことみたい。
残っていたマスク
薬局にはまだマスクがあった。
「世の中ではマスクが売り切れてるみたいねえ。いつもは来ないような若い人もうちへ来て、マスクを買っていくのよ」
マスクは最後の一個だという。
「あなたが来るかと思って取っておいたの」
そのマスクは実は2年前から売れていないものだと笑っていた。
『よかった、よかった』心から本当に安心した。これで安心。
「高齢者がかかると危ない病気みたいよ」、と山川さん。
そして家に帰ってまた一日中テレビを見ていた。
ニュースで知って良かった。
マスクを買えて。
今日から忘れずにマスクをしよう。
家から出るのは買い物に週1回、普段は郵便屋さんにも会わないけれど、マスクが無いと不安だ。
マスクをきちんとつけておこう。でも数に限りがある。
無くなったらどうしよう。
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