深夜3時誰もいない信号待ち

深夜3時誰もいない信号待ち

赤信号でブレーキを踏んだ。

 

ここは無駄に信号待ちが長いと有名な交差点。

 

深夜3時。周りには誰もいない。

 

赤信号。5分、10分、それくらい待っているように感じた。

 

早く帰って眠りたい。長い赤信号。

周りには誰もいない。それでもまだ青信号に変わらない。

 

ボーッとしすぎて、一度青信号に変わったのか?

長い、長すぎる。

田んぼに囲まれた交差点。

 

ポツンと赤信号を待つ。

深夜3時。

誰も見ていないけど、この赤信号、待つ必要あるの?

 

 

赤信号は誰のため

そもそも信号は混雑する交通を機械的に制御して、事故を無くすためのものだろう。

 

誰もいない交差点で信号を待つことは田舎ではしばしばある。

なんでこんなところに信号機があるんだということも。

それでも信号が赤ならそれを待つ。

 

信号を待つのは道路交通法、つまり法律だ。

赤信号で待つというのは、決まっている。

 

赤信号で止まる、ただし周りに人がいなかったら進んでよし、とはなっていない。

だから待つのだ。

 

周りに人がいなくて、事故の可能性がほぼゼロと分かっていても、無駄な時間を過ごしているとわかっていても、ただただ待つしかない。

 

 

目的

しかし事故を防ぐことが信号の、法律の目的ならば、誰もいない赤信号で、事故が起きないことが確実でも渡ってはいけないのか。

 

誰も見ていない。危険でもない。

 

ど田舎の田んぼの真ん中の交差点。

 

渡って何が悪い?

 

ふとそう思い始めたけれど、僕の意志は赤信号という「信号」によって制御されている。

 

赤は渡ってはいけない、そこで待って、動いてはいけない「信号」であることが意識に、無意識にまで刷り込まれている。

 

「こうしてはいけない」は世の中にたくさんある。物を壊してはいけない、人を傷つけてはいけない。

 

しかしその目的が何なのか?そこが大切な気がする。

 

深夜3時の赤信号。ただただひたすら待ち続ける。そんな時にふと思った。ふと思っただけだった。僕はアクセルを踏み、そう思っただけなのだ。

 

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