あのCMに出ているあの人
友人と話していて、芸能人の話になった。
「ほら、あのCMに出ているあの人。ちょっと太っているけど、ダンスがすごい」
「ああ、あの人ね。あの人。名前が出てこない。でも分かった」
こんな会話しませんか?
「あそこにあるあれを取って」とか、
「そこを右に曲がってちょっと行ったところの左側の辺りにあるお店やさん」、とか。
状況によってはまったく意味不明だけど、状況によってはこれだけで十分だ。
例えば、上記の会話から曖昧な指示語を取り除いてみる。
「台所の、コップを置いている棚の上から2番目の棚の奥にある四角い木のお皿を2枚とって」とか、
「右折信号がある交差点を50mほど歩いたところの北側にある「木下商店」」とか。
明確で分かりやすい。誰も間違えずにお皿をとってこれるし、木下商店にたどり着けると思う。
でもよく知った間柄でなんとない話をしているときに後者のような明確な指示が必要になるだろうか?
言葉は大切だが、
明解な話し方をしていると理屈っぽいと思われるかもしれません。
もちろん、ビジネスの世界では明解な話し方をしないと、初めてのお客さんに商品を売る時に、「あれがああなりますので、いい感じです。」なんて言って売れるものなんてない。
商品の説明を細かく行い、数字化して、簡単にわからせる。
つまり明解な言葉があると、それほど考えなくてもいい理解ができるのだ。
「あれがあれで、」という話をしていると、聞く側はいろいろな思考を巡らせないといけない。
「あれ」一つで何十、何百という想像をしないといけない。
頭を使うということは労力を使わせるということで、ビジネスにおける営業では御法度だ。
ということは、商品の良さを抜きにした営業力だけでの販売は、相手を考えさせないように理屈で相手を納得させる、悪く言えば理屈だけの世界でもある。
あれはあれで良い
全てを言葉に変えようなんて傲慢でもある。
美しい絵を見て、その良さを言葉にしても伝わるはずもないし、綺麗な景色の説明よりも、写真一枚見せた方が伝わる。(本当の景色には劣るが)
「あれが、あれで」という言葉を職場で使うのはいけない。「全然わからない」と言われるし、お客さんの前でもそんな言い方しているから売れないのでは?なんて思われるかもしれない。
それでも「あれが、あれで」「ああ、あれね」と言い合えることは素晴らしい。
それは言葉を超えた関係性があるからだ。
言葉はただのツールだ。
スマホのアプリと同じだ。
うまく使えれば便利だけど、使えないところで不便になるわけではない。
そしてプログラミング言語も同じ。
ルールのもとで正しい言語を入力してこそ動く。曖昧であったり、間違えた言語を入力するとまったく動かない。
でも人間は違うだろ?
「あれが、あれで」「ああ、あれね」と言い合ったところで、お互いの頭の中の「あれ」が違っていても、話を進めて行くことができ、結果、考えていた「あれ」が違うことが分かったところで笑い合うだけだ。
⇓この人たちのコントのようなことです。
「あれが、あれで」「ああ、あれね」という話ができる仲間がいることの方が何よりも素晴らしいはずだ。
言葉を超えたコミュニケーションこそが人間らしさだと思う。プログラミングされた人間にはなりたくないと思う。
⇓こんな考え方ももちろんビジネスの世界では有り。素晴らしい本だと思います。(読んでませんがw)
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