【華氏451度(新訳版)】レイ・ブラッドベリ 2014年 ハヤカワ文庫
もう言わずと知れた名著、1953年に書かれたものです。
読んでいる人も多いと思う。
映画にもなっているこの作品。
本を持つことが禁じられた世界での物語。
焚書坑儒の世界は現実にもあるし、現代でもインターネットを規制する国はある。
さて、そんな国を揶揄したような世界の物語、【華氏451度】まだ読んでいない方、ここを読めばこの本の言いたいことがわかるところをご紹介!(あくまで個人の見解ですが)
前後の文脈が知りたい方は実際に本を手に取ってください!
【華氏451度】レイ・ブラッドベリ 2014年 ハヤカワ文庫 102P〜104Pからの引用です!
こっちも、早いうちに芽を摘み取る方法を知っているしな。
釘と材木がなければ家は建てられない。
だから家を建てさせたくなければ、釘と材木を隠してしまえばいいんだ。
誰かを政治問題で悩ませて不幸な思いをさせるのは忍びないと思ったら、ひとつの問題に二つの側面があるなんてことは口が裂けてもいうな。
ひとつだけ教えておけばいい。
もっといいのは、なにも教えないことだ。
戦争なんてものがあることは忘れさせておけばいいんだ。
たとえ政府が頭でっかちで、税金をふんだくることしか考えていない役立たずでも、国民が思い悩むような政府よりはましだ。
平和がいちばんなんだ、モンターグ。
国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。
ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ憶えているか、競わせておけばいいんだ。
不燃性のデータをめいっぱい詰め込んでやれ、もう満腹だと感じるまで”事実”をぎっしり詰め込んでやれ。
ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報集収能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。
そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。
動かなくても動いているような感覚が得られる。
それでみんなしあわせにになれる。
なぜかというと、そういうたぐいの事実は変化しないからだ。
哲学だの社会学だの、物事を関連づけて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。
そんなものを齧ったら、持っているのは憂鬱だ。
テレビ壁を分解して、またもとどおりにできる人間は、まあ、いまはおおかたの人間ができるわけだが、そういう人間は、計算尺と巻き尺で宇宙を測って計算して方程式で示そうとする人間よりしあわせなんだ。
そんなことをしたって宇宙は測りきれないし、ぜんぶをイコールで結ぼうとすれば、人間が野蛮で孤独だってことを思い知らされるだけだからな。
おれにはわかる。
いまいましい話だが、やったことがあるんでな。
だから必要なのは、趣味の集まりにパーティー、アクロバットに手品師、無謀な遊び、ジェットカー、バイクヘリコプター、セックスにヘロイン、自動的な反射作用でできる、ありとあらゆるものってことだ。
もしドラマがつまらなかったら、映画を見てもなにも伝わってこなかったら、芝居の中身がスカスカだったら、テルミン(電子楽器の一種)でガンガン刺激してくれりゃあいい。
そうすればこっちは芝居に反応している気になれる。たとえそれが振動にたいする触覚の反応にすぎなくてもな。かまやしないさ。
こっちはしっかり愉しめればなんでもいいんだから」
以上。
ここで言われていること、女王の教室のこのシーンに似てる笑
これ、今なら放送禁止になるのでは? #女王の教室pic.twitter.com/dZASbiOFSN
— rima (@rima_risamama) 2019年5月12日
これを読んでどう思い、今からどうするかはあなた次第!!
【華氏451度(新訳版)】レイ・ブラッドベリ 2014年 ハヤカワ文庫
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